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Wendy 死について話すのはセックスの話を子供にするのとある意味では似ているのです。親のほうは慎重に構えて、セックスも、やれ愛がどうの結婚がどうのとしかつめらしく話していると、4分の1も親が話しきらないうちに、子供はもうそんなことは忘れてテレビかなにか見てしまっているというような状況なわけです。ですから子供が知りたいと思ったことを、そんなに複雑に答えないでもよいのです。次のことを子供はまたなにか考えるわけですから。
〔症例9〕
ターミナル期における患者の家族(夫)との関わりの検討
東海大学病院看護部松浦あゆみ、水上美穂、猪俣智恵子
●51歳、女性、左乳房癌
経過
1993年7月に非定型乳房切除術を施行。95年5月より、肺・肝・脳転移が次々に認められ、化学療法のため、当病棟にて治療、入退院を繰り返していた。しかし治療の効果なく96年5月より、下肢の痛みにより歩行困難となり、骨盤への転移が新たに発見される。そのため緊急で他病棟に入院。疼痛コントロール目的でMSコンチンの投与、および放射線治療がなされた。同時に、他臓器への転移による症状緩和のための治療がなされた。しかし今回の入院まで当病棟にて治療してきており、これまでの病棟よりもよく妻を着てくれるのではないかという夫の希望があり、1996年10月29日に永眠されるまでの3ヵ月間を当病棟にて過ごすこととなった(夫の要望事項として、24時間付き添うこと。すべての処置は一緒に行うこと〈包交、シーツ交換、体位変換等方法は夫が指定〉、グループの看護婦以外はなるべく処置をしないでほしい等)。
夫は50歳、電気会社に勤めている。息子は3人健在。
今回妻の介護を希望し、自ら数カ月の介護休暇をとり、個室で3ヵ月間昼夜付き添った。看護処置を夫とともに行っていたが、その中で、前回入院していた病棟と方法が違うことや、病状悪化に伴い症状のコントロールができなくなってきたこと、また付き添いの長期化による疲労により夫のストレスが増強した。それに対して、皆が同じように処置ができるように看護計画を立案したり、症状の早期緩和や時には帰宅を促したが、妻の病状悪化に伴い医療者への不信感を抱くようになった。そのはけ口を看護婦としたため、両者の信頼関係は成立しなかった。随時話し合ったが、お互い納得できないままであった。また、最愛の妻の臨終が近づくにつれて、看護婦に愛情を求めることもあった。そのような、さまざまな背景から、患者の死後も看護婦にはわだかまりが残った。
今回はこの症例を通して、家族に対する関わりを振り返り、今後の家族に対するケアについて検討したいと思う。
共依存関にある夫婦のケア
発表者 相手が看護婦さんでなくても起こりうることだと思うのです、そういう場合にどのような対応をしたらいいのでしょうか。
臨終が近づくにつれて妻の代わりに手を握らせてほしいとか、できればずっと傍にいて肩を抱いてほしいとかいわれることがあるのです。スタッフとしては傾聴の意味で目線を合わせたり、タッチングしていたつもりだったのですが、それをはき違えたというか、どう対応していいか戸惑いを覚えてしまいました。
紅林 看護婦としてはご主人とのかかわりをどういうようになさったのですか。
発表者 スタッフからの悩みを私は主任の立場で聞いたのですけれども、二つほど助言をしました。一つは行くのがいやだという気持ちがスタッフにだんだん強くなってはケアにも影響してきますから、いやだと思う気持ちはご主人にも伝えていいのではないか。もう一つはご主人がそういう行動をとるようになった裏には何かあるのではないかを私たちは見極めていかなければいけない、気持ちを受け止めなければいけないというのはあるのですが、その行動の裏にあるものをもう少しアセスメントしようということでした。エスカレートするような状態ではなくて、スキンシップレベルで止まってはいましたが。
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